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フラメンコの無限ループ

2012.03.29.Thu.04:36
弊社でおこなっている体幹トレーニングは、姿勢維持筋群を使ってしっかりと立つ、リラックスして不要な力みをなくす、の二点がキモといっても過言ではありません。
この二つは相互に補完しあっていて、前者ができれば 後者も割とスンナリできるようになりますが、前者をクリアしないとなかなか後者にたどりつけません。

ではなぜリラックスや力みをとることが大切なのかと言えば、それは「他力」を自分の身体の内に呼びこむために必要不可欠な条件だからです。
もちろんフラメンコだけでなく、すべての身体運動は地球が持つエネルギーの作用を受け、それを利用しています。
しかし、わけてもフラメンコは、手段ではなく目的として、この作用を身体の内に取り込みながら運動エネルギーのループをダイナミックに循環させるところに、大きな特徴があると言えるでしょう。

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実際のトレーニングでは、主に二つの方法で、この運動エネルギーのループを感じていただくことを大切にしています。
a) 身体と大地との間でエネルギーのキャッチボールをおこなうこと
 =自然な姿勢やフォームを身につけること
b) 身体と大気との間でエネルギ—のキャッチボールをおこなうこと
 =自然な呼吸を身につけること
…(*註)

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a は、言わば「ニュートン力学」の世界です。

①トレーニングの最初に必ずおこなうニュートラル・ポジションとは、「ニュートンの第一法則(慣性の法則)」を自分の身体で味わうことを意味します。

②その体勢から、「Preparacion」——すなわち安定した状態から脱し、次の体勢へと移行する行動——を起こします。
これは、「ニュートンの第二法則(質点の運動量の時間的変化は、それにかかる力の大きさに比例し、力の方向に作用する)」を体現したもの。
この行為は、行為者の自由意志=「自力」によって担われます。
フラメンコでは、ときに意図的に時差を作り出したり、地球よりはるかに重力の大きい星で動いているかのように振る舞ったりすることがあります。
「粘り」とか「溜め」などと呼ばれるのは、この挙動によるものです。

③「Preparacion」の結果生じるのが「他力」で、これは「ニュートンの第三法則(作用・反作用の法則)」に該当します。
どのような「Preparacion」をおこなうかによって、「他力」のあり方も変化します。
これは例えば、溜めを作った後の「キレ」などに当たる部分です。
「他力」を再び身体に取り込むためには、「他力」に反発せず、柔軟に受け止められなくてはなりません。
身体が充分にリラックスして「他力」を内に取り込むことができれば、それが次のニュートラル・ポジションを生み出したり、「Preparacion」のエネルギー源になっていきます。

こうして①、②、③はループをなし、絶えず互いを往き来しています。
終わりは次の始まりに、始まりは何かの終わりとなり、果てしなく続きます。
踊りならば、音楽が続く間じゅう、ずっと…。

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こうした身体の振舞いをベースで支えるのが、呼吸です。
体幹トレーニングを始めたばかりのお客さまを拝見すると、総じて呼吸が浅く、とりわけ息を肚の底に送り込み、最後まで吐き切ることが不得手なようです。
また、姿勢のアドヴァイスをすると、鏡を見ながら胸や肩など身体の各部分を動かしてととのえようとする方も多く見受けられます。
でも、ただ深~く息を吸って吐ききるだけでも、力みの多くは抜けていきますよね。
そうすれば、ほら、自然とまた深呼吸したくなるでしょう。
これは、命の果てまで続く無限のループであり、無限の音楽です。

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自力だけを頼みとする一人相撲フラメンコや、酸欠フラメンコ(または過呼吸フラメンコ)では、共演者も観客も、いや何より自分自身が疲れ切ってしまいます。
フラメンコの神さまは、決してそんな苛酷な要求はしていないはず。
深く息を吸い込んで吐き出し、「他力」を待ち受けていれば、あとはよしなに計らってくれる…そんな優しさも、フラメンコにはあるような気がします。

そして、何よりもフラメンコにおいてこのループ感がひときわ印象づけられる理由は、その基底に生と死のループを強く意識したアルテだからでしょう。
終わりは次の始まり、始まりは何かの終わりとなって、果てしなく続く命のループを。

生と死、昼と夜、夏と冬、陽と月、陸と海、空間と時間、男と女、そして、あなたとわたし。
二つに分かれて見えるものが、本当は大きなループで繋がっていて決して切り分けられないことを、フラメンコの神さまはそっとコンパスに忍ばせて教えてくれようとしているのかもしれません。

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*註 : 余談ながら、フラメンコのDuende(精霊・魔物)には「地」からやってくるという説と「空」からやってくるという説があります。
この二つのループともぴったり照応していて、とても興味深い伝承だと思います。
稀有な表現者の一身に宿る「自力」と「他力」の邂逅を、伝承の担い手たちはきっと熟知していたのでしょう。


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