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静かに過ぎゆく一日

2012.03.11.Sun.23:39
TVが朝から晩まで震災特番を流し、日本中の多くの場所で追悼の集いがもたれ、国会の周りを人々の鎖が取り巻いた一日。
私の2012年3月11日は、いつものように仕事に追われながら、過ぎていこうとしています。

写真は、一年前の今日、地震発生の2時間前に自宅から駅に向かう途中で撮影したものです。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ


屋根と電線にびっしりととまっているのは、雀です。
いつもピクピクと小刻みに動く印象のある鳥なのですが、このときの雀たちはまるで金縛りでもにあってしまったかのように微動だにせず、皆同じ方角を向いていました。
あまりにも見慣れぬ風変わりな光景だったので、まだ使い慣れていなかったiphoneを取り出してシャッターを押しました。
いま思えば、雀たちが磁石のように硬直しながらその身を向けていたのは、まぎれもなく「東北」の方角でした。
おそらく、人間にはキャッチできない異変を感じ取っていたのでしょう。

その晩、電車が止まって帰宅できなくなった私は、生後数ヶ月の赤ちゃんがいる知人の家に身を寄せました。
そこで地震と津波と原発のニュースをTVで知り、言葉を失いながら画面から目をそらすこともできず、雀から半日遅れでやはり金縛りのように硬直していたのでした。

翌日から、セノビージャ・ハポンの営業準備は一時ストップし、外出を極力控えつつ原発事故に関する記者会見にだけ参加し、ネットで情報を発信するという生活がしばらく続きました。
背中を強く押したのは、震災当夜、何も知らず私の横で笑っていた赤ちゃんの笑顔でした。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ


3月21日、首都圏上空に濃厚な放射性プルーム(雲)が立ちこめ、雨粒とともに地上に落ちてきたことが後に判明した日、セノビージャ・ハポンの創業に関する打ち合わせのため、私は東京駅にほど近いビルに出向いていました。
髪は束ねて帽子の中におさめ、捨ててもいいと思うコートを選んで着込み、マスクを二重につけての外出でした。
会談を終え、ビルを一歩出たところで、鼻先にポツンと雨粒が当たりました。
慌てて傘を差し、駅の入口まで息を止めて走りながら、傘を手にしながら開こうとしない多くの人々の姿を目にしました。
「この雨に当たったら危険ですよ」と、傍を歩く若い女性に声をかけました。
驚いたような怪訝そうな表情が返ってきました。
私は言葉を飲み込み、やはり身体を硬直させて、駅の入口に走り込みました。
背中で突然強くなった雨音を聞きながら、マスクの中で唇が震えているのが自分でも判りました。

あの日から何度、息を飲み、身体を硬直させ、呆然として立ちすくむという経験をしたでしょうか。
故郷を離れ東京で就職したために難を逃れた知人が、濁流に飲まれる故郷の映像を見つめている傍らで。
家屋や船舶やビルの残骸が堆く積まれた相馬市の国道を、車で走り抜けながら。
線量計を片手に福島市街を歩き、その数値と周囲の平穏な空気とのギャップに打ちのめされて。

雀ほどの先見の明も持たない、私たち人間。
そんな私たちに、それでもできることは何だろう。
本日一周忌を迎えられた15854人の方々。
いまだ行方のわかならい3155人の方々。
そして、その方々に繋がっている多くの方々。
その想いに応えられるものをいまだ持たない無力さを噛みしめつつ、ときに息を飲み、身体を硬直させ、呆然として立ちすくみながら、これからも考え続け、歩み続けていくことになるだろうと思います。
そう、これからも。
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