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セノビージャ・ハポンができるまで その⑦(最終回)

2011.05.30.Mon.19:50
明日はいよいよスペインを発つという、最後の晩。
滞在中ずっとnadjaをアテンドしてくれたミゲルは、一軒のレストランに連れていってくれました。
いまは亡きパコ・デ・アンテケラが毎週末ギターを奏で、多くのフラメンキートが集ったことで知られる、隠れ家的なお店です。
壁一面に飾られたアルティスタの写真。来る客来る客とハグする店主。
お客同士もハグを交わし、お店全体がまさにフラメンコ家族、という雰囲気です。
実は以前にも一度、ミゲルはnadjaをこの店に連れてきてくれたことがあり、nadjaはこの店の何とも言えない「地元密着感」に、すっかり魅了されていました。
最後のディナーにこの店を選んでくれたミゲルは、ワインで乾杯したあと、こんな風に話してくれました。
「nadja、僕はこの間ずっと、君にすべてを見てもらおうと思ってきた。
Senovillaのことも、
そこで働いている人たちのことも、
スペインの普通の生活についても、
それから、フラメンコが大好きな人たちの日常についてもね。
だからあえて、観光客が絶対に来ないような場所を、いっぱい君に見てもらった。
僕らが普段集う店で、普段食べるものを食べ、普段見るものを見て、感じてもらいたかったんだ。
だってフラメンコは、そこから生まれてくるんだから。
そしてnadja、ここはもう君が帰ってくる場所なんだよ」。

翌朝、ミゲルはバラハス空港まで送ってくれました。
数週間前、彼が出迎えてくれたターミナル。
そのときの高揚感と不安が、なんだか遠い昔のように思い出されました。

「東京に戻って、新しい仕事を始めるんだな」

ミゲルと別れ出発ゲートをくぐった瞬間、その実感が心のなかにすとんと落ちてきました。

飛行機の窓から眺めたスペインの大地は、雨上がりの陽射しを浴びて黄金色に輝いていました。
徐々に遠ざかる町並みを、nadjaは上空から見つめ続けました。

(おわり)

P.S. 震災のあと、Facebook経由で真っ先に連絡をくれたのは、スペイン・セノビージャでインボイスを担当しているクリスティーナでした。「あなたとあなたの家族の無事を祈ってる」というメッセージのあとに、スペイン語のメッセージと工房のスタッフ全員の名前がありました。ミゲルは「いつでもスペインにおいで、君も君の家族や友人も受け入れるよ」とメールをくれました。震災当日にセビージャ在住の日本人有志とともに「まほろば日本人会」を立ち上げ被災地支援を開始したりえ天とは、連日のようにコンタクトを取り合い、現在に至っています。縁(えにし)のありがたさ、本当に身にしみます。


foto 1 : ミゲルが紹介してくれた「スペインの普通の生活」のひとつ。「migas=パン屑」という名の家庭料理です。卵とオリーブオイルをふんだんに使った、いわばスペイン式猫まんま。めちゃめちゃ美味でした。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ



foto 2 : マドリッドで貿易事務を担当するクリスティーナ。多忙なミゲルが不在の時には、彼女がnadjaと職人たちとのコミュニケーションを助けてくれました。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ
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