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demasiado

2012.09.11.Tue.01:28
度が過ぎる、ということが、いつからか私にフラメンコを強烈に感じさせる大切な要素になっています。
おそらくフラメンコを習いはじめる前から、そしてフラメンコというものが何かを考えるときの参照項目になる以前から、そうしたものの居場所が心の空隙に準備されていて、フラメンコと出逢うのを待っていたのかもしれません。
ほどよいものやバランスのとれたものがどこかきまり悪く、予定調和に居心地の悪さをおぼえる、といえば少し近いのではないかと思います。

とはいえ、バランスを崩せば良いというわけでは、決してありません。
おい、大丈夫かよ!?というギリギリまで突き抜けつつ持ちこたえる、そのエネルギーの流動に、わけもわからず感動するのです。
バランスとは決して静的な状態ではなく、途方もないリスクを負った拮抗であるということ。
バランスからアンバランスへ、あるいはアンバランスからバランスへと向かう行為自体が、鳥肌が立つほどスリリングであること。
そういう感覚を最初に味わわせてくれた踊り手の一人が、私にとっては20代前半の若きイスラエル・ガルバンでした。
「このひと、凄過ぎ…」

とはいえ、とりわけ『La Raiz del Grito』でのシギリージャの印象が鮮烈だったせいで、後の来日公演ではあまりに衝撃的なプロポーションの変化に思いっきり目眩がしました。
「このひと、変わり過ぎ…」

その後ショックから立ち直る(?)とともに、彼の踊りそのもの、そして彼自身にますます圧倒されるようになりました。
ちょっと油断した隙にどんどん変化を遂げてしまう、それでいていつ何時も彼自身であり続けている、そんな危うい拮抗に眼を奪われるのです。
それはあたかも、完璧さを具備した強靭な身体と、言いよどむ口調やシャイな表情に現れる命のふるえのようなものが、何の違和感もなく同居している危うさと二重写しのようです。
「このひと、面白過ぎ…」

というわけで、今年のビエナルの映像が早速アップされたとなれば、たとえ仕事の合間とて、どうして観ないでいられよう。
…と思ったのですが。


Israel Galván - Solo - Bienal de Flamenco de Sevilla 2012

「ていうか、このカメラ近過ぎ…」
ま、これは本人のせいではないのだけど、私にとって彼はやはりどこか「度が過ぎる」人なのでした。

宝石紫セノビージャ・ハポンのスタッフブログはこちら
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