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セノビージャ・ハポンができるまで その⑦(最終回)

2011.05.30.Mon.19:50
明日はいよいよスペインを発つという、最後の晩。
滞在中ずっとnadjaをアテンドしてくれたミゲルは、一軒のレストランに連れていってくれました。
いまは亡きパコ・デ・アンテケラが毎週末ギターを奏で、多くのフラメンキートが集ったことで知られる、隠れ家的なお店です。
壁一面に飾られたアルティスタの写真。来る客来る客とハグする店主。
お客同士もハグを交わし、お店全体がまさにフラメンコ家族、という雰囲気です。
実は以前にも一度、ミゲルはnadjaをこの店に連れてきてくれたことがあり、nadjaはこの店の何とも言えない「地元密着感」に、すっかり魅了されていました。
最後のディナーにこの店を選んでくれたミゲルは、ワインで乾杯したあと、こんな風に話してくれました。
「nadja、僕はこの間ずっと、君にすべてを見てもらおうと思ってきた。
Senovillaのことも、
そこで働いている人たちのことも、
スペインの普通の生活についても、
それから、フラメンコが大好きな人たちの日常についてもね。
だからあえて、観光客が絶対に来ないような場所を、いっぱい君に見てもらった。
僕らが普段集う店で、普段食べるものを食べ、普段見るものを見て、感じてもらいたかったんだ。
だってフラメンコは、そこから生まれてくるんだから。
そしてnadja、ここはもう君が帰ってくる場所なんだよ」。

翌朝、ミゲルはバラハス空港まで送ってくれました。
数週間前、彼が出迎えてくれたターミナル。
そのときの高揚感と不安が、なんだか遠い昔のように思い出されました。

「東京に戻って、新しい仕事を始めるんだな」

ミゲルと別れ出発ゲートをくぐった瞬間、その実感が心のなかにすとんと落ちてきました。

飛行機の窓から眺めたスペインの大地は、雨上がりの陽射しを浴びて黄金色に輝いていました。
徐々に遠ざかる町並みを、nadjaは上空から見つめ続けました。

(おわり)

P.S. 震災のあと、Facebook経由で真っ先に連絡をくれたのは、スペイン・セノビージャでインボイスを担当しているクリスティーナでした。「あなたとあなたの家族の無事を祈ってる」というメッセージのあとに、スペイン語のメッセージと工房のスタッフ全員の名前がありました。ミゲルは「いつでもスペインにおいで、君も君の家族や友人も受け入れるよ」とメールをくれました。震災当日にセビージャ在住の日本人有志とともに「まほろば日本人会」を立ち上げ被災地支援を開始したりえ天とは、連日のようにコンタクトを取り合い、現在に至っています。縁(えにし)のありがたさ、本当に身にしみます。


foto 1 : ミゲルが紹介してくれた「スペインの普通の生活」のひとつ。「migas=パン屑」という名の家庭料理です。卵とオリーブオイルをふんだんに使った、いわばスペイン式猫まんま。めちゃめちゃ美味でした。

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foto 2 : マドリッドで貿易事務を担当するクリスティーナ。多忙なミゲルが不在の時には、彼女がnadjaと職人たちとのコミュニケーションを助けてくれました。

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セノビージャ・ハポンができるまで その⑥

2011.05.25.Wed.21:29
セビージャで一通りの打ち合わせを終え、再びマドリッドの工房へ。
スタッフたちは、「おかえり~」と明るく迎えてくれました。

ミゲルが、そっと耳打ちします。
「これから君は工房の職人たちにいろいろと難しい注文を出すんだろうから、スペイン滞在の残りの期間でしっかりと信頼関係を築いていって。
そうすれば面倒な注文でも、ああnadjaが発注したのか、なら頑張って作ってやろうって、みんな思ってくれるからね」。
そう、職人魂とはそういうもの。
工房のスタッフは一見コワモテ揃いですが、打ち解けるとくしゃっと顔をほころばせ、あれやこれやの心遣いを見せてくれる、ホントに優しい男たちなのです。
気合いを入れて力仕事をしているそばからお菓子やコーヒーをぬーっと差し入れてくれたり(力抜けちゃうよ)、コバカッターという鋭利なマシンを使おうとすると「君には危ないよ!」と慌てて飛んできたり(いやいや、日本でも普通に使ってるよ、これ)、タバコ吸わない?と声をかけてくれたり(基本的にシンナーなどの有機溶剤を使う工房は禁煙のはず、なんだけど)、…
ことばはほとんど通じないのに、あったかい気持ちはじわ~っと伝わってきます。

工房ではいつもラジオが流れていて、お気に入りの曲が流れると、誰がの鼻歌が聞こえてきます。
すると誰かが茶々を入れるようにハーモニーをつけ、さらに誰かの声が重なり…
しまいには全員が唄いながら、実に楽しそうに靴を作っています(しかも、かなりの名歌手揃い)。
なんだか、おとぎ話か映画のワンシーンみたい。
工房でのひとときは、nadjaにとってとても幸せな時間でした。
Senovillaの靴には、そんな彼らの唄心も宿っているんですよね。

靴という商材だけでなく、靴を作り送り出す人々のぬくもりを、しっかりとお客さまにお届けすること、それもまた自分の大切な仕事のひとつなんだな、そう思わせてくれる日常のひとこまでした。

(つづく)

セノビージャ・ハポン公式HPはこちら

foto : 中二階からみた工房。中央が工場長のボルテル。作業中やたらとタバコを勧めてくれるのは、ヘビースモーカーの彼でした。靴作り一筋で歩んできた彼は、ふだんの陽気な笑顔と、出荷前の靴をチェックするときの鋭い眼光とのギャップがすごい。「職人気質」とは、彼のような人のためにあることばだな、と思います。

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セノビージャ・ハポンができるまで その⑤

2011.05.18.Wed.23:21
マドリッドの工房で1週間ほど過ごしたあと、いよいよりえ天の待つセビージャへ。
ミゲルが運転する車に乗りこみ、フラメンコ音楽をかければ、気分も上々音譜
11月のマドリッドは底冷えするような寒さでしたが、南下するにつれ、季節が移ろうように空気がゆるんでいきました。

トリアナ地区にあるオスタルのロビーでりえ天と落ちあい、まずはごあいさつ。
何度もメールのやりとりを交わしたりえ天とは、なんだか初対面な気がしませんでした。
とはいえ日本人同士なので当然ベシートはなく、「はじめまして」「よろしくお願いします」とお辞儀し合う二人。
その様子を、ミゲルは目をまんまるくして眺めていました。
「たぶん、ミゲルは私がお辞儀するの、初めて見たと思います」とりえ天。
これが、凸凹トリオ三人の初顔合わせでした。

セノビージャ・セビージャ店は、サルバドール広場のざわめきを抜け、一本通りを入った場所にあります。
マドリッド店にくらべ広々とした店内には、色とりどりの靴や衣裳、バストンなどが並んでいます。
店長りえ天の仕事ぶりは、とにかくてきぱき、ぺらぺら、かちゃかちゃ…という感じ。
(↑来店するお客さまの応対と、電話応対と、メールチェック・返信を同時にこなす音、のつもり)。
その間にもミゲルと業務について話し、nadjaにはセビージャの観光情報を伝え、迷いこんできた観光客に道を案内し、…
でも、決してあくせくしているという感じではなく、むしろ水を得た魚のようにいきいきと見えました。
「接客業はわたしの生きがい」――のちにりえ天自身から聞いたことばですが、このときの情景を思い浮かべると、理屈抜きにナットクできます。

さてさて、翌日から連日の「三人会議」がはじまりました。
会議といっても、
①日中セビージャ店で立ち話をするか、
②お店を閉めるシエスタの間、カフェかバルで食事をしながら話すか、
③夜りえ天ファミリーが経営するボデガ(レストラン)で話すか(もちろんタパ+ワイン付き)、
という感じ。
ちなみに、りえ天ファミリーのお店は「BODEGA SIGLO XVIII」といい、サンタアナ教会の斜向いにあります。
その名のとおり18世紀に建てられた、まるでミュージアムのようなお店です。
天井が高く広々としたフロア。メスキータ風のパティオ。何気なく飾られたアンティークの工芸品や絵画。
そんな空間に囲まれていただく手作りのタパとワインは、ホントに美味しい。
機会があったら、みなさんもぜひ訪ねてみてくださいね(詳しくはhttp://www.sigloxviii.com/をご覧ください)。
…おっと、会議の話からすっかり脱線しちゃいました。

話し合いは、日本に作るのがセノビージャ・スペインの「支店」なのか「別会社」なのか、というところからスタートしました。
どんなサービスを提供していきたいのか、日本のフラメンカたちは何を求めているのか、スペインと日本の法律・制度はどうなっているか…等々、さまざまなポイントをすり合わせて検討。
その過程で、ミゲルの靴作りに対する尋常ならざる情熱や、りえ天が大切に育んできた日本のお客さまとのつながりなど、それぞれの想いも話し合い、受け止め合うことができました。
いま振り返ってみると、なにかをともに生み出すための大切な時間だったんだな、と実感します。

最終的に、三人が共同で別会社(合同会社)を設立することに決定。
…てことは?
外資系OLになる気満々だったnadjaが「代表社員(株式会社における代表取締役)」、ミゲルとりえ天が「業務執行社員(同じく取締役)」に。
ええええっ…(((@_@)
ぶっちゃけ、そういう仕事には絶対向かない、と自信を持って断言できるnadja。
思うに、もっとも適性があるのは、てきぱきガールのりえ天ではないか、と。
(もちろんミゲルも、おっとりした性格ながら、立派な会社経営者なわけですが。)
「あははは、私もそう思う。でも大丈夫。がんばって」と笑顔であっさりかわすりえ天。
うーん、大丈夫かなあ…

不安にかられるnadjaを、ある夜りえ天はディナーに誘ってくれました。
場所はもちろん、りえ天ファミリーのボデガ。ミゲル抜きの女子会でした。
法人設立についての詰めの話し合い、という建前はどこへやら、深夜までワインのおかわりを繰り返しながら、マシンガントーク炸裂(恋バナドキドキ多し)。
三人で話すときは、スペイン語の堪能なりえ天は、つねに同時通訳をこなさなければなりません。
しかも、法律用語、業界用語満載の通訳は、相当のハードワーク。
数時間ゆっくりと日本語で話すことで、お互いの生い立ちや性格、考え方などについても、より理解が深まったような気がします。

こうして公式・非公式の話し合いを重ねるうちに、(人選に一抹の不安は残るものの)懸案は少しずつ解きほぐされていきました。

(つづく)

foto : セビージャ店の店内。オレンジ色の壁面一杯に並んだカラフルな靴たちは、眺めているだけでも楽しくなります。セビージャには多くのアルティスタが在住し、しばしばお店を訪ねてきます。私が行った時には、ファルキートの弟カルペータのかわいらしい靴が棚に鎮座して、小さな主人の来店を待っていました。

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セノビージャ・ハポンができるまで④

2011.05.18.Wed.01:34
セノビージャのマドリッド店は、有名なフラメンコスタジオ「アモール・デ・ディオス」の向かいにあります。
ある日、これから店に修理靴を届けるから一緒に行きましょう、と工房のスタッフ・イオネラが誘ってくれました。
彼女は、デスクと工房をつなぐ要のような存在で、はにかむような笑顔がとってもキュートな女性。
ミゲル曰く、マドリッド店長のカリナは、日本で踊ったこともあるプロのアルティスタなのだとか。
そのときは、へー、そうなんだー…と思っただけのnadjaでした。
のちに、おどろきの再会劇が待っているとも知らず。

マドリッド店に入ると、カリナが「オラ!」と出迎えてくれました。
一瞬、あれ? 何だか見覚えがあるような…と思ったけど、ま、とりあえずごあいさつのベシート。
入り口こそ仕事の話ながら、次第に盛り上がる、仕事とはなーんの関係もない女子トーク。
「日本で踊ってたのはいつごろ?」
「三年くらい前、東京のエル・フラメンコに出てたの」
「え、じゃあ観たことあるかも」
「当時の映像がYouYubeにあるの、観て!」
やおらパソコンをカチャカチャやりだすカリナ。
待っているあいだ、店内のあちこちに視線を泳がせていたnadjaは、突然「!」となりました。
今しがたイオネラが届けた修理靴の伝票に、「Angela Españadero」と書かれていたのです。
実は、三年前アンヘラがエルフラに出演していた当時、nadjaは数ヶ月間彼女のクルシージョを受けていたのでした。
その瞬間、カリナが振り向き満面の笑みで「出てきたわ、これよこれ、観て!」。
差し出されたパソコンの画面と「実物」を見比べたnadjaは、ようやくすべてに気がつきました。
「カリナじゃん!!」

そう、カリナは三年前、アンヘラと一緒にエルフラの舞台に立っていたのでした。
当時、クルシージョでとっていたアンヘラのシギリージャ目当てに、「復習」と称して最低週2日はエルフラに通っていたnadja。
アンヘラとは対照的な持ち味のカリナの踊りも、それはもうはっきりと脳裏に焼きついています。
YouTubeには、タンゴ・デ・マラガをグラシアたっぷりに踊るカリナの姿。
「よく憶えてる。このほかにグアヒーラも踊ってたよね」
「そうよ~。…ね、このときの衣裳どう? すっごいお気に入りだったの。ムイボニートでしょ?」
「すっごくきれい。あ、衣裳っていえば、あのときアンヘラお手製のファルダを、クルシージョに参加したメンバー全員でオーダーしたっけ」
「あれは私が生地を裁断して、アンヘラがマシンガンみたいにドゥルルル~ッてミシンかけて作ったの。彼女のミシンはすごい勢いなのよ」…

…とまあ、すっかり大盛り上がりのところで、突然ドアが開き、一人の男性が入ってきました。
再び「!」となるnadja。相手も「あれ、なんでこんな所に君がいるの?」という表情。
そこに、「うちのダンナよ」と割って入るカリナ。
「こちら日本からセノビージャの仕事で来たnadja …あれ? ひょっとして二人、知り合い?」
その男性は、アンヘラのクルシージョで、終始ギターを弾いてくれていたホルヘだったのでした。
カリナとホルヘの関係も、このときはじめて知ったnadja。
つか、世の中狭すぎでしょう…汗

「奇遇ねえ。やっぱり、縁ってあるのよね。」
カリナの一言にnadjaは、ああ、運命が私をスペインに導いてきたんだわ~、と、すっかりその気になっていくのでした。

(つづく)

セノビージャ・ハポン公式HPはこちら

foto : イオネラ(左)とカリナ。
ナチュラル美人のカリナは、とても気さくで飾らない気持ちのいい女性。ステージメークだけで見慣れていると、素顔のアルティスタってなかなかわかりづらいものです。

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foto2 : セノビージャマドリッド店店内。
世界中から留学生が集うアモール・デ・ディオスの向かいにあるため、ご来店されるお客さまも多種多様。私がお店にいたときには、台湾から来た少女が靴の相談に来ていました。日本人留学生は相変わらず多いのですが、最近では、台湾、韓国、中国からも、多くのフラメンコ愛好者がスペインを訪れています。

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セノビージャ・ハポンができるまで その③

2011.05.14.Sat.19:13
セノビージャの本社は、マドリッド郊外のコルメナールという街にあります。
マドリッド中心部から、バスまたはレンフェ(スペインの国鉄)で小一時間くらいのところです。

本社といっても、吹き抜けの建物の2フロアだけ。
一階が工房、二階が革置場・靴置場、そして革裁断機やミシン、パソコンデスクがあります。
階段の中ほどに、手作り感満載の小さなメザニン部があり、職人たちの休憩所になっています。
社長室も会議室もなく、ミゲルは一階と二階をつねに行ったり来たりしています。

英語を話せるのは、ミゲルとインボイス担当のクリスティーナの二人のみ。
しかもけっこうなSpanglishだったりするので、リスニングにはちょっとしたコツがいります。
nadjaもスペイン語はからっきしな上、英語もかなりのJapanglish。
それでも、熱意と電子辞書(←これは超重要、やっぱりスマホのアプリとは精度が違います)があれば、コミュニケーションは難しくない、とつくづく実感しました。

まずスタッフと顔合わせし、仕事の流れのレクチャーを受け、その後靴作り作業にも参加させてもらいました。
フラメンコシューズを作った経験もあるnadjaでしたが、そのメーカー独自の製法や企業秘密は教えてもらわなければわかりません。
工房のスタッフは、この道40年以上の工場長ボルテルを筆頭に、総勢6人+アシスト1人。
彼らは、ホントに惜しみなく、技術やノウハウを披露・伝授してくれました。
事前にセノビージャの靴を解体(!)し中身をすみずみまでチェックしていたnadjaは、各工程のディテールについて、ミゲルやボルテルを質問攻めに。
彼らはその都度、納得がいくまで丁寧に説明し、作業を見せてくれ、さらにその作業をnadjaにもやらせてくれたのです。

もっとも感動したことのひとつは、スタッフの人柄と会社全体の風通しのよさでした。
初対面で、どこの馬の骨ともわからないnadjaに対して、彼らは、客をもてなすというよりは、旧知の友人や家族のように迎えてくれました。
また考えてみると、これまでアルティスタ以外のスペイン人をほとんど知らなかったnadjaにとって、職人や会社員である彼らの日常に接するという機会は、とても貴重な経験でした。
単純な例ですが、スペイン人に遅刻魔が多いなどというのは、やはり一面的な見方だと実感します。
工房は午前8時に始まり夕方5時に終わりますが、工房では誰もが時計以上に時間通りの勤務をこなしています(nadjaは日本人離れした時間感覚の持ち主のため、けっこう焦りました汗)。

また、実はnadjaには、日本人の足をフィッティングしたりケアしたりした経験から、セノビージャの靴にも改善して欲しいと思うポイントがいくつかあります。
そのことをミゲルに伝えると、彼は本当にじっくりと話を聞いてくれました。
そして納得すると、すぐ動く。
「じゃあ、この木型に直接画を描いてみてよ」
「…こんな感じかなあ。ここをもっと長くして、こっちはこのくらい、ここから革を薄く漉いて…」
nadjaが画を描いた木型を手に、ミゲルは速攻ボルテルのもとへ。
「できる?」
「nadjaの意見なの? OK、じゃあやってみよう」
ボルテルは、これまたただちに革を手にとり、隣のセバスチャンと相談をはじめます。
セバスチャンは革を成形し、「こんな感じでどう?」
この間たったの30分足らず…速っ!

もっともっといい靴を作りたい、という想いをみんなが共有していて、それを可能にする風通しのよい社風がある、これは本当にステキなことだと思います。

日本での法人設立には、いくつか解決しなければならない懸案がありましたが、この人たちとならやっていける、とnadjaは確信しました。

(つづく)

foto : 釣り込みの工程。けっこうな力作業です。工房では、若手のホープ(?)フーゴが担当しています。職人は基本的に整理整頓の習慣を身につけているものですが、なかでもフーゴはかなりの整理魔。彼の作業台は、いつも完璧な秩序で整理整頓されていました。見習わなくっちゃ…

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ-Lasting

セノビージャ・ハポンができるまで その②

2011.05.13.Fri.23:40
スペイン・セノビージャの日本語版ホームページから、メールオーダに初トライしたnadja。
サイズは残念ながら合いませんでしたが、靴の作りのよさはすぐに理解できました。
実はnadjaは、靴作り・靴修理・フットケア、フィッティングを学び、その理論化を独自に試みていました。
そして、それらの成果をフラメンコに活かすための方法を模索していたところだったのです。

サイズが合わないという連絡を受けたりえ天とnadjaの間で、メールのやりとりが始まりました。
りえ天もまた、フラメンコ留学をきっかけにセノビージャの靴と出会い、10年以上のフィッティング経験を持つ、いわば「チョー靴オタク」。
メールの応酬は、次第に、フツーの人にはついていけないコアでディープな靴談義へと発展していきました。
何回かのメールとSkype通話を重ねたある日、りえ天はnadjaにこんな呼びかけをしました。
「私たちと一緒にお仕事しませんか? もう社長のミゲルにも話をしてあります」。

根っからのお調子者なのか、長年フリーランスで仕事をしてきた経験からか、先の見えない未知のプロジェクトほど、妙にテンションが上がるnadja。
外資系に勤めるのも悪くないかも…という気分で、前向きな返事を出しました。
話はトントン拍子に運び、3ヶ月後、nadjaはマドリッド郊外のバラハス空港に降り立っていました。
渡西の目的は、事業設立のための話し合いと靴工房の視察、そして店舗の見学。
ハグとべシートで出迎えてくれたのは、スペイン・セノビージャの社長ミゲルでした。

(つづく)

セノビージャ・ハポン公式HPはこちら

foto : 余談ですが、訪西時はじめてアエロフロートに乗りました。
ブランケットをたのむと投げつけられるとか、キャビンアテンダントが意地でも笑わないとか、シビアな前評判ばかり聞いていたので、相当の覚悟をきめて搭乗。
が、意外にも機内は清潔で快適。そしてアテンダントは、全盛期のナスターシャ・キンスキーを思わせる美女。笑顔もとてもステキでした(写真を撮らなかったことを深~く後悔)。
機内食は、こんな感じです。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ-アエロフロートの機内食

セノビージャ・ハポンができるまで その①

2011.05.12.Thu.23:41
「セノビージャ・ハポン」は、スペインのセノビージャ・ブランドを専門的に扱う日本法人。
これにより、セノビージャ・ブランドは、はじめてスペイン国外に拠点をもつことになりました。
日本法人の三人のスタッフのうち、ミゲルはスペイン・セノビージャの社長でもあり、りえ天は同じくスペイン・セノビージャのセビージャ店店長。
日本に新しく会社を作る、というプランは、二人の間で数年前からあたためられていたのです。

このプランを後押ししてくれたのは、まず何よりも日本人のフラメンコへの圧倒的な情熱でした。
いまやユネスコの「世界無形文化遺産」に登録されるほど、グローバルな拡がりをもつフラメンコ。
そんななかでも、日本のフラメンコ人の愛は、間違いなくホンモノ。
そのたしかな手応えを、ミゲルもりえ天も、ひしひしと感じとっていました。

そして、二つ目の理由は、日本特有のさまざまなニーズに対して、もっとこまやかにご対応したい、という二人の想いからでした。

旅行や留学などをきっかけにセノビージャの靴を知っていただいたお客さまから、少しずつセノビージャの名は日本に浸透していきました。
スペインへのお問い合わせが増え、メールオーダーによる個人輸入のお客さまも増えてきました。
それを一手に引き受け切り盛りしていたのが、りえ天でした。

ココロの距離は近いスペインと日本。でも、実際上の距離はやはりネックになります。
何といっても、靴はまず履いてみなければわからないものですし、個人輸入にともなうお客さまのご負担やリスクもあります。
また、靴は買って終わりではなく、アフターケアも重要なサービスのひとつ。
こうした事情から、日本国内でお客さまをお迎えできる場所が、どうしても必要になってきました。

さらに、日本人の足や身体の特質をふまえたフィッティングや靴作りへのフィードバックは、遠く慣れたスペインからではどうしても限界がありました。

そんなある日のこと。
メールオーダーで購入したある顧客が、セノビージャの靴に「クレーム」をつけてきたのです。
その張本人が、のちに二人とともに会社の立ち上げに加わるnadja、このブログの筆者だったのでした。

(つづく)

*foto : スペイン・マドリッド郊外にあるセノビージャの靴工房にて。ミゲル(左から三人目)と工房のスタッフたち。

$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ-Taller 2010.12

セノビージャ・ハポン始動!

2011.05.12.Thu.02:16
$Senovilla Japon(セノビージャ・ハポン)公式ブログ

「セノビージャ」は、スペインの名門フラメンコシューズブランド。
多くの著名なアーティストから支持され、彼/彼女らの芸術を足もとから支えてきた靴メーカーです。
ありがたいことに、日本でも近年少しずつご愛用者が増えてきました。

ぜひ日本にも専門店を、という声にこたえて、ようやくできたのが「セノビージャ・ハポン(日本)」。
今年2月に誕生したばかりの、ヨチヨチ歩きの会社です。
スタッフは、スペイン在住スペイン人ミゲル、スペイン在住日本人りえ天、日本在住日本人nadjaの3人。
凸凹トリオみたいな3人ですが、共通項はフラメンコと靴を溺愛していること、かな?
この3人が何者で、なぜ一緒に仕事をすることになったのかは、おいおいブログの中でご紹介していく予定です。

とりあえずこのブログを書いているnadjaは究極の面倒くさがり屋なので、毎日更新は絶対ムリ!ですが、「週刊」くらいで楽しく続けていけたらいいなと思っています。
フラメンコをしている人もしてない人も、靴が好きな人もそうでもない人も、ときどき様子をみにきていただけたらうれしいです。

最後に…

私たちは、会社発足直後に、東北関東大震災を迎えることになりました。
いまもって全貌がつかめないほどの被害の大きさに、しばし言葉を失い、走り出した業務も一時中断しました。
いま私たちにできることは、限られているかもしれません。
それでも弊社スタッフは、それぞれの場でできることを模索し、実践しています。
フラメンコの世界でも、多くのアーティストや愛好者の方々が、プロジェクトを立ち上げたり、募金を集めたり、チャリティ公演を行ったり…と、被災者の方々につながるための試みを続けています。
こういう時期に会社がスタートしたことをひとつの「縁(えにし)」と受け止め、苦しみや痛みを負った方々の歩みに重ねて、これからの道のりを一歩ずつていねいに歩んでいきたい、と希っています。
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